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2011年5月

2011年5月31日 (火)

福島第一原発所長  吉田昌郎さん

3/12 原子炉の注水が55分中断した責任を、国会、新聞、テレビ、毎日のように、論議され、政治と東電の間では、国民や作業員の安全より、政治的思惑や自身の面目、またトップの顔色をうかがう方を優先している風で「いいかげんにして欲しい」と思っていたら

海水注入中止せず~   第一原発所長吉田昌郎さん

新聞の活字が目に入る。本社意向に反し、「事故進展を防止するためには、原子炉の注水の継続がなによりも重要」と判断して部下に全責任は自分がとるから、と継続を続行した。と     凄い!

吉田所長の肉声

「責任感がありなんとかなりそう」とおもわせる親方気質。作業の従事全現場員の「拠り所」「心支え」だとも耳にする。

「世界中の人から、また国内の沢山のお知恵、技術をお借りして、この難局を乗り越えたい」ともコメントしている。  謙虚なんですね~。

福島、日本、いや世界を救うために、命がけの作業を続ける現場が、充分力が発揮できるようにして欲しいと願う。・・・・政治も東電も

福島第一原発での作業は、今も続いている。一つ間違えれば惨事につながりかねない課題ばかりだ。少しでも早い収束を願っている。

私達も全てをお上の判断に頼るのではなく、幾らかは自分の判断、自らの対応を決める姿勢を持つべきではないか・・・・とも。

吉田所長の座右の銘は

「人はタフでなければ生きていけない。優しくなければ、生きる資格がない」

2011年5月29日 (日)

会津へ

先日友と4人で会津方面へ。何回も出かけているがいつも車利用である。交通機関を利用するのは初めて、ちょっぴりドキドキする。友が往復切符を準備して朝食をとりながら、待っててくれる。3人揃い、9時30分の高速バスに、久しぶりなので話しが弾み、ほどなく若松に着く。

いわきの友が待っててくれる。(私は30年ぶりぐらい)懐かしい!相変わらずお洒落で美しい!鶴ヶ城に向かう。

柔らかなつつじが優しく迎えてくれる。そして青もみじがとても綺麗である。よく見ると赤いプロペラのようなものがついている。なんて可愛いんだろう!不思議なので調べる。もみじの種(実)なんですね~。もみじの花は、赤い小さな花で葉っぱに隠れるように秘かに咲いていて、気付かれないんです。(きっと) 咲く頃が桜と同じということも・・・・来年はきっともみじの花に遭いたいと思う。

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芦の牧行きのバスで芦の牧グランドホテルヘ  うさぎさんのブログ 福島県希望の膳

で美味しい食事のこと、ホテルの素晴らしさが、詳しく書かれています。

次の日、会津の七日通りを歩きました。七日通り ロマンを感じる町並みで、おしゃべりしながら、ソフトクリームを食べたり、田楽を食べたり色々見て歩きました。絵付ローソク、漆器、長門屋のお菓子などお土産を買ってしまいました。(車でないので買うまいと・・・)(*^_^*)

熱心に何度も誘ってくれたAさん有難う!貴女のお陰で楽しい時間を過ごしました。また御一緒したいものです。(=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

2011年5月25日 (水)

散歩

11_525_000_r 11_525_001_r 11_525_002_r 11_525_003_r ある日、友を誘って半田山に出かけた。通行止めの立て札。農作業してた方に尋ねる。「小坂から登れる」とのこと。でもなんども間違ってドライブみたいだったけど、久しぶりの友と話が弾む。

「しらねあおい」   登り口の山一面に咲き、風に揺られてほほ笑んでいる。心を包み込むような淡い紫いろの花の群生をみると、自然の力の凄さ、素晴らしさに感動。(写真は撮ったはずが撮れてなかった残念無念)

林道を二人で話しながら散歩する。ドウダンツツジ、八重枝垂桜、山つつじ、山吹などがさいている。木と木の間を通るだけで、緑のシャワーを浴び新緑のパワーをいただける感じがして心地よい。風の音、鳥の囀り、二人の語らいだけが響いてる。私は一日でも歩いていたいが、友は足が痛いという。歩数計をみると7000歩。新緑の下で、お昼を食べる。

何度きても好きな場所である。

2011年5月20日 (金)

俳優 児玉清さん逝く

映画俳優、児玉清さんは温厚、誠実、知的でダンディー。中高年なのにどうしてあんなに清潔感あふれて爽やかなのか?憧れのまなざしでテレビをみていた。詳しく「産経抄」で述べられている。

もう翻訳は待ちきれない。原書を買って読もう」。こんなかっこ良すぎるセリフも、児玉清さんなら許される。16日に、胃がんで77年の生涯を終えた二枚目俳優は、物心ついた頃から本を読まなかった日はないという、芸能界きっての読書家だった

▼母親の急死で、ドイツ文学の研究者への道をあきらめた。就職先を探していたら、偶然東宝映画ニューフェースに合格する。それから二十数年、40代半ばの児玉さんは俳優として大きな曲がり角にいた。台本を読んでからでないとテレビドラマに出演しない。そんな原則を守っていたら、依頼がほとんど来なくなった。 

▼鬱々とした気持ちを紛らせてくれたのも読書だった。とりわけお気に入りの英米ミステリーの翻訳を読み尽くしてしまい、仕方なく原書のハードカバーを入手する。ところが存外楽に読め、翻訳本より喜びが深いことに気づいたという。

▼以来、ひたすら面白い本を追い求め、人に魅力を語っているうちに、翻訳本の解説を書き、テレビの書評番組の司会を務めるようになった。平成16年からは、小紙にも海外ミステリーの書評を寄稿している。▼1回目に取り上げたのが、米国で発売されたばかりの『ダ・ヴィンチ・コード』だった。「予断を許さぬ激しい場面転換に読者の心は●(つか)まれたまま、ジェットコースターライドの切迫感で巻末へと放りこまれる」。日本でもブームに火が付いたのは、薦め上手の児玉さんの力が大きかったはずだ。

▼36年にわたり司会を務めてきたクイズ番組『アタック25』で、最近本に関する問題の正答率が低いことを憂えていた。本離れと電子書籍の普及という激震にあえぐ出版界は、偉大な応援団長を失った。

訃報を知り、本の書評番組を思い出し、家にあったミヒャエル・エンデ作、モモを一気に読んだ。人間が人間らしく生きる事を可能にする時間についてのお話でした。やっぱり本は素晴らしい!

本を読む度に本の数だけ人生を生きられると謙虚に語っていた俳優児玉清さん

回答の全てのマスを埋めて旅立ち、今頃最愛の娘さんと再会してるのだろうか?

憧れの人を失った寂寥感は大きいけれど、本を読む楽しさを忘れないようにしよう!

2011年5月13日 (金)

こころほんわか  テレビみて 2

昨日リンクしたかったのですが、とうとうできませんでした。

おすすめサイトです。初女さんインタビュー 

自分に持ち合わせてないものが、沢山書きこまれておりました。

なるほどなるほど、目から鱗が・・・・・。

すぐに身につけたいですが・・・・・・・時折お邪魔してこころの洗濯をしようと思っています。

Photo

お祝い

2月~5月までお祝いがつづく。誕生日が娘、義息子、私と息子、主人と孫、その間に記念日なるもの2つ、母の日、父の日などが我が家の祝い日となる。

そして今日が孫の誕生日(、ついでに父の誕生日、母の日を一緒に・・・・)

すくすく育ち、光り輝く孫は、太陽である。パパママには、3DS、叔父さんとお爺ちゃんからおこずかい、私はバレーのトウシューズを、孫は大喜びはしゃいでいる。パパママも目をほそめて嬉しそうだ。光陰矢のごとし あっという間に大きくなって、6cmも背丈は、はなされている。

相方はゴルフウィアーとビール、私は素敵な洋服とウオーターピック(水圧と振動の組み合わせによりブラッシング、歯の間やガムラインの下の食べ残しを取り除く)・・・・娘夫婦に

千葉に住んでいる息子からは、すっごい牛肉を2種類、今迄見たこともないウインナーを2種類、をダンボール1箱届く。

ケーキは手作りでママ  パパそれを知らず、シャトレーゼのケーキ買って帰る。

ケーキ、手巻きずし、牛肉、ウインナー、どれも口の中でふわっととろけるように美味い。

健康で、皆揃って毎日暮らせるこの穏やかなひととき、感謝しつつ、たゆまぬ努力を重ねたいと願う、晩春の夜である。

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2011年5月12日 (木)

こころほんわか   テレビみて

時々覗きにいくブログで佐藤初女(はつね)さんという名前を知り、「ヘェーおにぎりで有名なんだあ。」・・・・なんて思っていたら(・_・)エッ....?

とある日(4月末)NHKBSで佐藤初女さんを発見 「食べるという事は、生きていく上で、一番大事と説き、講習会、講演会、声がかかれば、何処にでもポンポーンと出かけ、活躍している89歳の元気な初女さん。大袈裟な態度や言葉はないけど、温かさ優しさが、じんわり伝わってきます。

もう何度目かの再放送のようでしたが 岩木山麓に立つ「森のイスキア」で 心疲れて話を聴いてもらうために訪れて来る人々に 丹精込めたおにぎりを振る舞う初女さんと岩木の豊かな自然が淡々と描かれていて 深く心に残るドキュメタリーでした。

戦時中の女学校時代に結核を患い、何年か前には 突然息子さんを失い・・・初女さん自身もさまざまな体験をして来られたからこそ出来る奉仕。、「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴います。犠牲の伴わない奉仕は真の奉仕ではない」という神父様の言葉を身を持って実践している初女さん。

さまざまな心の荷物を背負ってやって来た人が 気がつけば 自分で荷物をおろして帰って行く・・・何よりも肝心なので「自分で荷物をおろす」という事。ただ心のこもった食事を提供して話を訊くだけ。悩みを抱えてやって来たその人が「自分は何を迷っているのか、自分自身で気付かなれば」意味はないのだと思います。私にはとても真似の出来ない事ですが 東北のかの地に初女さんのような方がいる事を知っただけでも 満たされた気持になりました。 

Photo  Satouhatune

2011年5月 6日 (金)

息子と一緒に

何年ぶりだろう?GWにゴルフを楽しんだ。実は急に「家に帰ってもいいか!」「OK]「ゴルフしない?」などと息子とのメール。  父は慌ててあちこち心辺りに電話するが、なにしろGW万事休す。矢が飛んでくた私に……(ノ゚ο゚)ノミ(ノ _ _)ノ 早速打ち込み練習、3球ほど打つと疲れる。50球ほど打ち込んだ。次の日息子を二人で西口駅に迎えにいき、練習場へ直行。二人はビューンビューン小気味よく飛んでいる。相も変わらず私は3球ほどで・・・明日が思いやられたが、身内だからいいか!

朝6時30分出発、箕輪辺りから雨と風、「山を降りたら雨は止んでる」 相方が言う。ゴルフ場に着くと、曇り風強し、混んでいる。前者20代3人、後者30代4人  周りの山々は濃淡の萌黄とこぶしが咲き、コントラストが素晴らしい!裾野には山吹が風にそよいで笑っている。いい気分でスタート 「 ナイスショット  」二人声を揃える  一安心いい気分。開き直ったせいか、その後もポーンポーンと、リズミカルにボールが飛び、二人にも褒められ続け、気分を良くしているうちに、球を打つタイミングが蘇ってきた。体が覚えていた。パタだけはあまり上手くできなかった。58であがる。  背中が痛くなっていた。お昼、値段だけ高く美味しくない。コーヒーだけ美味しかった。二人は生ビールを美味しそうに飲んでいる。20年前は家族4人よくゴルフをしたことを思い出していた。

午後風相変わらず強い。迷惑をかける心配は皆無。だが体がもつか心細いが、一球に思いを込めて打ちこんでいく。ゴルフ場は歩いてもフワフワして気持ちがいい。足は大丈夫のようだ。右腕全部が腫れてるようで痛い。相方に言うと左腕が痛くならないと上手にはなれないという。打つ時は痛くない夢中なんだろうなあ。息子と時を過ごすにはゴルフもいいなあ。幸せ気分いっぱいになる。体はガタガタ、スコアは60  でも家族でゴルフはやっぱり素晴らしい!今度は息子二人(娘の夫)と4人でゴルフを楽しみたいものだ。

8s1

おばちゃん!お世話になりました。

ある日、お世話になった、おばちゃんが亡くなったという知らせが、兄から・・・・。

すぐ、通夜に間に合うように、生花スタンドを2つ手配、いつも頭の片隅におばちゃんはいたはず。  なのにすっかり忘れている。97歳だという、大往生だ。

埼玉の兄達3人は6年間私と妹が11年間、満州から引き揚げてきて母の実家にお世話になる。母はいつも外で働き、兄や母に叱られ泣いていると、優しい言葉をかけていただき、何度も助けて下さった、おばちゃん。 叔父さんが亡くなった時はお伺いしたが、 そのあとは、訪れる事もなく時は流れていた。子供の頃の一日は長く、石蹴り、かくれんぼ、そり滑り、暗くなるまでよく遊んだ。私の原点が其処にある。懐かしいー。50年が過ぎている。

お経が長かった。お坊主さまが先代の時(20年前)に戒名を準備していたという話をしてくれた。周りの人に従ってる風に写って見えたが、しっかり生きてきたんだと、またお孫さんが(30代の女性)涙を流しながらも、おばあちゃんの家に来るのが楽しみだったこと、遊ぶのが嬉しかったことを、しみじみと語りかけているのをみて、「幸せだったんだなあ」とほっとした。

久しぶりに兄弟5人揃い、聴きなれた笑い声を聴いた。なんとなく幸せ感を味わった。

「人は生きてきたように、死んでいく」とお坊主さまが語られていたが、深い意味あいは、程遠い今の私だが・・・・これからの課題でもある。

Photo  Photo_2

2011年5月 5日 (木)

あすという日が

今話題の、仙台八軒中学校のコーラス素晴らしい!東北の応援歌の調べにのってすべります。

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