« 半能 観世流 「船弁慶」  伊達市にて | トップページ | 今年も残りわずか »

2012年12月12日 (水)

勘三郎さん逝く

Kannzaburou_4名前を知っている程度のフアンなのに、各界の著名な方々の声が沢山紹介され、生前のお人柄と幅広い交友、そして生きざまの凄まじさが伝わってくる。

追悼番組もBS,Eテレ、NHK,で放映され、見る。

演劇分野でカテゴリーの垣根を飛び越え、活躍なさった凄い方だと知る。

人間そのものを清濁併せ呑んで、好きで愛して

役に命の灯を吹き込み、舞台の上を、顧客の目の前を、芝居の世界を

駆け抜けた役者、勘三郎さん   

友人の野田秀樹が日経新聞(12・9)に追悼文を書いている。

(引用したいが、抜粋)深い繋がりを感じるいい文章です。

 

彼の亡骸の周りは、彼にそんな恩返しをしてあげたくて仕方のない人間であふれている

それはとりもなおさず、彼がいままで、どれほど周りの人間に優しい男であったかという証でもある。歌舞伎座の大道具、裏方の人々、そして数えきれないお弟子さんたちが、彼の亡骸に、縋りつき泣き狂ったようにいつまでも離れられずにいる。その姿は、肉親を失って悲しみに暮れている人々の姿に似ている。

君の死は、あまりにも僕に近すぎる。君の死を語ろうとするたびに言葉を失い、唇が震え、目が霞む。確かに肉親の死に似ている。

君がこうなってしまうまで、君の存在の大きさに気が付かずに生きていた。その意味では、君の死は、隠れてしまった太陽のようだ。起きるたびに、君がいないことを確認して、途方に暮れている。おそらく君と深くかかわった人々のすべてが、そんな太陽のない朝を迎えている。その数の多さに、君の、中村勘三郎の、温かくも激しい人生を見る。

君が夜中に逝ってしまい、帰ってきた自宅の窓から、富士の山が見えた。たとえようもなく美しかった。月が白くうっすらと西の空に残っていた。紅葉が終わりかけ、冬の訪れを教える、真白き富士の嶺と名残の月・・・「富士紅葉名残の月に 勘三郎」

力が抜けたように息をつきながら、あいつほど「日本人」という言葉が似合う男もいない。そう思った。

 たぶんそれは、我々が歌舞伎に見る幻想でもある。「日本人」とは、その昔こうだったんだよ。こういう人だったんだよと、そう描く理想の日本人の姿。たとえば、悪しき力と闘い、市井の人々には心優しい。義理人情に厚く、忠義を守る、喧嘩っ早くて涙もろく、苦労を自ら背負って、それでいながら底抜けに明るい。

だがこれは、すべて古い「日本人」の物語であり、歌舞伎の舞台の上だけの話だ。架空の話、絵空事。そう思っていた。ところがどっこい、そんな日本人が今なお本当に生きている、それが中村勘三郎だった。

君が僕を歌舞伎の世界に迎え入れてくれて、初めて僕が書いた「研辰(とぎたつ)の討たれ」という芝居の中で、

「生きて生きて、まあどう生きたかはともかくも、それでも生きた緑の葉っぱが、枯れて真っ赤な紅葉に変わり、あの樹の上から、このどうということのない地面までの、そのわずかな旅路を、潔くもなく散っていく、まだまだ生きてえ、死にたくねえ、生きてえ、散りたくねえ、と思って散った紅葉の方がどれだけ多くござんしょ」

 君が回復していたら、再演しただろうこの芝居のこのせりふをどんな思いで演じてくれだだろうか。

 でもその願いはもう叶わない。

君は僕と初めて会った日のように、坂道の下から歩いてきたかと思うと、瞬く間に坂の上に消えて行ってしまったのだから。僕にできるのは、あの時のように、茫然と君の背中を見送るばかりだ。
ご冥福を祈ります。

 

« 半能 観世流 「船弁慶」  伊達市にて | トップページ | 今年も残りわずか »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1399083/48303473

この記事へのトラックバック一覧です: 勘三郎さん逝く:

« 半能 観世流 「船弁慶」  伊達市にて | トップページ | 今年も残りわずか »

2015年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ